●10月7日(金)山形なう(笑)。
まさかこんなものまで甦るとは思ってもみなかったであろう。ツイッターもすでに盛りを過ぎたかというこのご時世に、ブログで4年ぶり、2度目の逃亡日記。まさにダイアリー・オブ・ザ・デッド! しかもスマホとか、何それ? こちとらB4ノート持参ですから……。
というわけで、前回と同じ安くて便利なホテルに荷物を預け、とりあえずふらりと入ったラーメン屋がいきなり失敗。いつぞやの冷しラーメンに懲りて以来、山形での食事ではほとんど失敗したことがなかったのになぜだー!と悔しがっても後の祭り、なかったことにしてひたすら前を向いて歩く。久々に帰ってきた山形の街は、2年おきとはいえ、こう何度も来ていると目を瞑ってても歩ける……と思っていたのだが、よく見ると新たな発見があるもので、何ですか、「養蛇所」って……。恐る恐る暗く狭い店内を覗いてみるが店員の姿はなく、ガラスケースに精力剤らしきものが並んでいるだけなので拍子抜けするも、ひょっとして店の奥の暗闇には何千匹もの大小さまざまの世界中から集められた蛇が『スネーク・フライト』のごとく蠢いているのであろうか、それを縦に二つに裂いていっぱい天井から吊るして乾燥させたのを白髪の怪老人が逆光を浴びつつ毎日すりつぶしては粉末にしてせっせと小瓶に詰めているのであろうか、そして匂いに惹かれてやってきた家猫がこぼれた粉末を舐め、異常な昂奮状態に陥って毛を逆立てながらあたりを狂ったように走りまわるのを怪老人はニタニタ笑って眺めているのであろうかと想像すると、あまりのことに少しくオシッコをちびるのであった。
そんなことはどうでもよくて、無事にIDを受け取ってから今日1日のスケジュールを確認。まずは、今回から新しく会場に加わった山形美術館の岩波映画その他の巻へ。霞城公園の近所で遠いかと思ったが、それほどでもない。最初に
『日本発見シリーズ 山形県』(1959、鈴木達夫撮影)。米沢織の女工さんは織機の台の、仕事中嫌でも目につく位置に九ちゃんの写真を貼ってて「上を向いて歩こう」まで流れちゃうという。それにしても、お国自慢の名物3つほどで県全体を紹介する構成というのは亀井文夫の『小林一茶』以来の伝統(?)で、思えば同じシリーズでお蔵入りした黒木和雄の『群馬県』もそうだったわな。柳澤壽男の
『産業と電力』(1952)は、むろん慢性的な電力不足に悩まされていた当時の日本におけるPR映画だからしょうがないのだけど、やはり今、この状況で見ると、いろいろ考えてしまう。そのあたりのことは同じく岩波の『佐久間ダム 第一部』にかんしてだが、最近論文に書いたので、本が出たら読んでねん。いわずと知れた名作
『はえのいない町』(1950、村治夫)を挟んでその前後には、樋口源一郎の
『いものの町』(1952、東京映画技術研究所)と
『日本のデンマーク農場』(1954、内外映画社)。後者はデンマークから招かれた「お雇い外国人」フェンガー夫妻による合理の極みの酪農指導の紹介映画。牛舎のなかの牛のやや上方に棒を渡しておいて、牛が力むと背中が棒に当たり、驚いた牛が反射的に一歩下がると首尾よく糞が溝に落ちるという、ホークス的というよりはキートン的かしらん、脱糞機械の精密なる作動ぶりに感動。
同じ美術館の隣のホールでは、今回の密かな目玉ではないかと囁かれていた《公開講座・わたしのテレビジョン 青春編》がいよいよ開幕。ホール最奥に鎮座するスクリーンを覆う巨大旧式テレビのハリボテにお茶の間を模した畳張りという会場設計にまずブラボー。卓袱台もあるでよ。最後部にはパイプ椅子も多少並べてあるが、もちろん靴を脱いで畳に上がらせていただく。最初は工藤俊樹ディレクターによる
『メダカ課長』(1966)と
『ある帰郷』(1968、いずれもNHK)。河川浄化の必要を訴える東京都水質保全課山田課長の奮闘を追う前者は、いきなり課長のどアップから始まるが、なんかやたら口元を撮るなあと思っていたら、最後はとうとう自らの信念を語りつづける課長の口のアップの合間にメダカだかフナだかのパクパク開閉する口元がインサートされ、ついには魚の口元に課長の話し声がかぶさり、リテラルに「メダカ課長」になってしまうのであった。なんという生成変化! 戦死したと思われていた男が実は沖縄で生きていたと発覚する後者では、関係者の饒舌な語りのなか、ひたすら寡黙な男のあいまいな表情が実に印象的で、いずれも〈顔〉がちゃんと撮れているなあ、と感心。会場を出たところで今回の企画の立役者の一人からいろいろ話を伺うに、NHK内で工藤氏が後進に与えた影響は絶大なようで、さもありなんと納得。ところで、おっさん4名によるこの立ち話の間、美術館のガラス壁に張りついて『LOFT ロフト』の安達祐実みたいにこちらをじっと見ている少女がいるわけだが、いったい誰に憑いた霊かと震えておると、実はこの少女は某氏の娘さんで、某氏と一緒に『メダカ課長』を見始めたものの、退屈のあまり、外で父が出てくるのを可哀想に独りで待っていたのであった。開始5分で「ねー、これどこがおもしろいの?」と娘さんに訊かれて某氏は答えられなかったというのだけれど、そこで子どもにもわかるように作品の魅力を説明できてこそ真の教育者なのではあるまいかと皆で説教し、とりあえず北小路さんの映画批評ワークショップを受講するように詰め寄る。明日は『ラドン』あるよ、と勧めてもみたが、少女は怪獣映画には興味ないのであった。がっくし。
某氏は結局娘さんの子守りで続きも見ずにどこかへ行ってしまい、私はわずかな時間の隙間を利用して市民会館に移動、キューバ特集のサラ・ゴメスへ。
『私の家族年代記』(1966)と
『ミゲルの島』(1967)だけを見て、ホテルにチェックイン。で、すぐにまた外出すべくエレベーターに乗ったところ、途中で止まるエレベーター。扉が開くと……あの父娘なのであった(笑)。「ねー、この人なんでいるの?」と娘さんに指差されつつ、何これ、どういうおしゃれラブコメの再会シーンですか。しかし、映画でこんなことやったら「そんな偶然あるか!」って絶対ツッコまれますよねえ、と苦笑して、映画も見ずにご飯食べに行く父娘の後ろ姿を見送る。
毎回行く蕎麦屋で手早く腹ごしらえした後、中央公民館でコンペ参加作品、平野勝之の
『監督失格』。相米本でてんてこ舞いしていた時期だったので試写は見逃し、この機会に大スクリーンで拝見。しかしちょっとこれ、あまりこういう場で気軽にコメントするのは適切ではないな、と。ある程度の予備知識はあったものの、正直、かなり動揺してしまった。一つだけ、私がずっと考えていたのは、あれは『映画は生きものの記録である』での発言だったか、土本典昭監督の言葉。自分は結局水俣の患者さんにとって最後までアウトサイダーのままだったけど、ぼくはそのことを誇りに思う、というもの。この距離感こそ、土本作品だけでなく、あらゆる映画作りの根底に位置すべき倫理だろう。寄り添うが、ずるずるべったりにはならない。その点、実人生とイメージのなかの世界とを積極的に混同する、というか、進んで実人生をイメージに搾取されるがままにするこの映画のような露出症的・ハメ撮り的(?)姿勢というのは、やはり映画なるものとは根本的に異質なもの、異質であるべきものではないか――などというと、また「映画原理主義」といわれてしまうのだろうか。しかし、そういえばウェス・クレイヴンの『スクリーム4』に登場する高校のシネマクラブの今どきの映画オタクは、頭部に着用したウェブカメラで自分の高校生活を全部ライブで配信していたりするわけで、映画なるものとハメ撮り的なるもの(?)との境界線において、現代における作り手の態度がそのつど問われていることは確かだろう。
最後はキューバに戻って、テオドール・クリステンセンの
『彼女』(1964)とアニエス・ヴァルダの
『キューバのみなさん、こんにちは』(1963)。ヴァルダの劇映画はどうしても好きになれないが、ノンフィクションははるかに好ましく、キューバで撮った1800枚の写真を編集したという本作も例外ではない。
本日よりオープンの香味庵には珍しく行かず、『監督失格』への動揺(というか、同作の核となっている例のビデオ映像への動揺)を引きずったまま、独りホテルで酒を飲む。